A life well spent

充実した人生

充実した人生

La Biblia enseña sobre una sola verdadera Iglesia y cuyo nombre es “Iglesia De Cristo,” que es profetizada, y cree que solamente el Padre es el Dios verdadero

による SIEGFRED T. GOLLAYAN

(和訳 村松礼二)

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世界はいつも変化の中にあり、唯一不変なものは変化そのものだと人々は言う。人が自分の人生を完全にコントロールできていると感じている時にこそ、何かによって方向転換し、一瞬にして変化が起こる。予測可能だと思っていたことが、結局は予測不可能になり、人はこうした予期せぬ状況や境遇に適応することを強いられるのだ。

「人生は旅である」というような決まり文句がある。確かに、人生を歩む中で、予想とは大きく異なる出来事が数多く起こる。たとえ計画を立てても、制御不能な出来事に直面する可能性は避けられない。金融アナリストは経済成長を予測するが、突然の不況によって失望させられ、経済は制御不能な衰退に陥る。事業家は今後数年間の事業計画を楽観的に描いていても、インフレや原材料の不足、その他の理由により、期待していた収益が得られないこともある。タイヤのパンクや渋滞で約束の時間に間に合わないこともある。子供たちにご馳走すると約束したのに、インフルエンザで出かけられないこともある。

時間を賢く使う

物事が非常に不確実である以上、私たちは時間を賢く使うべきだ。使徒たちは「一分一秒を大切にしなさい」(エペソ5:16 Contemporary English Versionを日本語に訳したもの)と助言している。

想像してみてほしい。人は平均して1日に8時間の睡眠が必要だとすると、60歳になる頃には、人生の20年を眠りの中で過ごしていることになる。実に、私たちが生産的に過ごせる時間は人生の3分の2しかない。だからこそ、「この地上でどのように人生を過ごすのか」、「どのように時間を有効に活用するのか」と自問自答するのは、当然のことだ。人生は一度きりである。もし人生の大半を何も良いことなしに過ごしてしまうなら、私たちの未来は間違いなく暗いものになるであろう。

もし私たちがこの地上での時間を本当に大切にするなら、与えられた人生を無駄にすることはない。聖書には、太陽の下にあるものすべてに時があると記されている:

「何事にも定められた時期があり、地上のあらゆる営みには時がある。」(伝道の書 3:1 New English Translationを日本語に訳したもの)

人生を有意義に生きよう。最善を尽くし、自分の可能性を最大限に活かし、重要な事柄には素早く取り組むのだ。そうすれば、たとえ小さなことでも、この世での生活の負担を軽減することができる。さらに、聖書はこう教えている:

「この邪悪な時代にあって、善を行う機会をことごとく活用しなさい。」(エペソ5:16 新改訳)

このため、他人のために良いことをする機会を逃さないようにしよう。とても素晴らしいとは言えなくとも、他人の生活を少しでも快適にする機会はたくさんある。愛する人に簡単なメールやメッセージを送る、バスで年配の女性に席を譲る、警備員に挨拶する、秘書の仕事ぶりを褒める、家族を大切にする、地域社会に貢献する、などがその方法である。

人生を有意義に過ごす

何よりも、私たちが人生を有意義に過ごすためには、私たち自身の存在理由を理解する必要がある。

「結局のところ、言うべきことはただ一つである。神を畏れ、その戒めを守りなさい。私たちはそのために創造されたのだ。」(伝道の書 12:13 Today’s English Versionを日本語に訳したもの)

私たちが日々行うすべての努力において優先すべきことは、神が私たちに何を望んでおられるかということだ。主イエスのように神に従うことができれば、父なる神にこう言うことができるであろう。「私はあなたが私に命じられたことをすべて行い、この地上であなたの栄光を現しました」(ヨハネ17:4リビングバイブル)。

だからこそ、神が命じられたことを迅速に行い、神が私たちに与えてくださった人生を怠惰に過ごさないようにしなければならない。主イエスはこう言われた:

「何よりもまず神の国を求め、正しく生きなさい。そうすれば、神はあなたがたに必要なものをすべて与えてくださいます。」(マタイ6:33 New Living Translationを日本語に訳したもの)

したがって、人生を有意義に過ごすとは、神の御心に身を委ねるためにできる限りのことをすることなのだ。それは、義にかなった生き方をするだけでなく、何よりもまず、キリストの血によって罪の赦しとあがないを受ける神の国を求めることである(コロサイ1:12–14 New King James Versionを日本語に訳したもの)。その神の国とは、キリストの教会である。

「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊はキリストがご自分の血で買い取られたキリストの教会を牧(ぼく)させるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(使徒行伝 20:28 Lamsa Translationを日本語に訳したもの)

私たちにできること、そして私たちがなり得るすべてを行うには、決して時間が足りないと考えるなら、私たちは常に霊的な幸福を最優先にしながら、人生を最大限に生きることができるであろう。だからこそ、まだ時間がある今、キリストの教会に入信することを奨励する。