本当に新しく生まれたのは誰か
本当に新しく生まれたのは誰か
ヨハネ3:3で、キリストは次のように言われた。「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(新共同訳)。これが理由で、自らを「ボーン・アゲイン・クリスチャン(新生したクリスチャン)」と呼ぶ人々がいるのである。しかし、本当に新しく生まれた人とは、いったい誰なのか。また、そもそもなぜ人は新しく生まれる必要があるのか。
他の人々は、「新しく生まれる」という意味を誤解している。キリストを救い主として受け入れ、人生において前向きな変化を起こそうと努力していると言うだけで、自分は「新しく生まれた」と考えているのである。しかし、人は自分の力によってでは、真の変化をもたらすことはできない。なぜなら、使徒パウロによると、律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われているからだ(ガラ3:10新共)。神の律法を守らないことは罪(Iヨハ3:4)であり、律法の呪いとは人の罪に対する罰——第二の死、すなわち、火の池での死である(ロマ6:23; 黙20:14)。このような状態にあるがため、人は新しく生まれない限り、誰も神の国に見ることも、入ることも、救いを受けることもできないのだ(ヨハ3:3)。キリストは、「新しく生まれる」ことを、神によって生まれることだと明確にしておられる:
「この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハ1:13 新共)
神によって生れるとは、神の言葉によって生まれることだ:
「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」(Iペテ1:23 新共)
本当に新しく生まれた人は、キリストに結ばれて新しく創造された者となる:
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(IIコリ5:17新共)
新しく創造された者とは、「一人の新しい人」(エペ2:15 新共)、すなわち、頭であるキリストと、その体である教会で構成されたもの——キリストの教会のことだ:
「また、御子はその体である教会の頭です…」(コロ1:18新共)
「どうか、あなた方自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は神が御子の血によって買い取られたキリストの教会を牧させるために、あなた方を群れの監督者に任命なさったのです。」(使20:28 Lamsa Translationを日本語に訳したもの)。
したがって、本当に新しく生まれた人々は、キリストの教会にいるのだ。しかし、ただ教会員となるだけでは不十分だ。教会員となってキリストに結ばれた人は、古い人、すなわち、情欲に惑わされた以前の悪い生き方を、脱ぎ捨てるのだ (エペ4:22 新共)。
このため、本当に生まれ変わるためには、まず、キリストの教会に入ることにより、キリストによってあがなわれ、その血によって清められなければならない。そして、すべての悪や罪から完全に離れ、神のみこころに従って生きなくてはならないのだ。人生を改めることは、救いを確かにする最後の時まで続けなくてはならない:
「無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、…だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」(Iペテ1:14, 13 新共)。
「しかし、最後まで信仰を守り続ける [耐え忍び、揺るがず、堅く立ち続ける] 人々は救われる。」(マタ24:13 Expanded Bibleを日本語に訳したもの)