True followers of Christ

キリストの真の弟子

キリストの真の弟子

キリストの真の弟子は自分の望むことを求めるのではなく、キリストご自身が模範となったように神の御心を求めている。

による GLADY C. GADDI

(Traducido al español por KEVIN MARTIN)

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多くの人の決断は、生きるためまたは自分のためへの願望に基づいています。しかし、最近の流行りや社会が標準とみなしていることに流される傾向にある人々がいます。彼らは「みんなでいれば怖くない」または「打ち負かすことができないならそれに従え」という言い習わしでさえおこなうのです。

このように流される傾向にある人は、多数派の側にいることが有利であるという考えによってなりたっています。しかし、宗教的信念について言えば、多数派の方が有利または好適という考えは賢明なのでしょうか?

喜ばれるべき方

使徒たちの経験から学んで、主イエス・キリストのに従うために犠牲を伴う用意があり、喜んで何をすべきでしょうか?

「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マタ16:24)

宗教的義務になると、神の当時のしもべは、自分自身を否定し、彼らはキリストの真の弟子であることを証明しました。近頃、多くの人々は自分たちも自信を否定し、キリストの弟子であると宣言しています。しかし、そういう人が本当にキリストの真の弟子であることを示すために、自分をどのように否定すべきでしょうか?

「わたしは、自分からは何事も行うことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。」(ヨハ5:30新改訳)

キリストの真の弟子は自分自身の望むことを求めず、キリストご自身が模範となったように神の御心を求めています。神の御心に従うために、他にすべきことはなんでしょうか?使徒パウロは言いました:

わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。(Iテサ2:4新共同)

これは、人ではなく神を喜ばせるために、神にキリストに従うことを望む人たちの目標であるべきです。したがって、多数派が神の御言葉に従わないとしても、従うべきです。

多数派が望む者

偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。(Iヨハ4:5新共同)

この世界の教会の説教者は、世界の視点から話し、人々または多数派が聞きたいことを説いています。これは偽宗教の特徴です。神が人々に聞いてほしいことではなく、人々が聞きたいことを説教することによって、多くの人が彼らに加わるよう説得しているのです。

その一方、使徒たちはキリストの真の弟子をどのように述べているでしょうか?

わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。(Iヨハ4:6新共同)

彼らは神の戒めに耳を傾け神の御心に従うことを拒むことはありません。多数派が従うことに拒んでいる神の戒めのひとつはなんでしょうか?

主はこう言われる、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。しかし彼らは答えて、『われわれはその道に歩まない』と言った。(エレ6:16)

キリストの真の弟子になりたいのであれば、「良い道がどれかを尋ねて、その道に歩」むことを求めるべきです。しかし、多数派はなんと答えているのでしょうか?えているのでしょうか?「われわれはその道に歩まない」と言っています。

これは、多数派を選ぶ人々が神に背いていることを証明してしているだけです。彼らは神が歩むよう指示しておられる良い道を歩いているのではなく、様々な道を作っているのです。

良い道

キリストは御自分の真のしもべとなるために、人が歩むべき道、または入るべき門を教えておられます:

イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。(ヨハ10:7)

私たちの主イエスは羊の門であり、彼を通って入った者は群の中にいます:

「私は門である。私を通って群れの中に入る者は誰でも救われる。」(ヨハ10:7 Revised English Bible日本語訳

キリストの弟子として認めていただくために、人が入るべき群れとはなんでしょうか?使徒たちはこのように宣言しています:

「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊はキリストがご自分の血で買い取られたキリストの教会を牧させるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。(使20:28 Lamsa日本語訳)

ですから、キリストの真の弟子のひとりとして認められ、裁きの日に救いを確かにしたいと望んでいる人は誰でも、キリストの教会になるまたは入信する必要があります。

キリストは教会のために御自分の血を流すことによって最大の犠牲を伴いました。そのため、人は神の御心に従うために、必要ならば、犠牲を伴ってでもキリストの教会のメンバーとなるべきです。

多数派の人々がキリストの教会に入ることを拒むのはなぜでしょうか?救い主御自身が証言されました:

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。(マタ7:13–14)

真の宗教やキリストの教会に入信することは、狭い門と険しい道を通るようなものだがが命につながると言っています。それに引き換え、偽宗教や偽教会に入ることは大きい門と広い道を通るようなものだが滅びにいたる門または永遠の罰へと歩むようなものです。

最大の恵み

キリストの真の弟子は、この世での生活には永遠ではなく、本当の永遠のすみかは天にあると信じています。それが理由で教会での権利を守るため、人生での苦難や試練に強く立ち向かっているのです。彼らは待ち望んでいる大きな恵みがあるので、彼らは神の御心に従うのを妨げるかの性のあるすべての障害を克服するよう決心しています。使徒ペテロは証言しました:

私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐れみにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてくださいました。また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、消えることのないものを受け継ぐ者としてくださいました。(Iペテ1:3–4聖書協会共同訳)

キリストの真の弟子が受ける最大の恵みは、天に住む権利です。現在、クリスチャンになるのが難しいとしても、人はキリストの真の弟子、つまりキリストの教会に属していることの大切さを理解すべきです。多数派がしていることが神の御心に反する場合、それらに従うのではなく、犠牲を伴おうとも、神の御言葉に従うべきです。最後までキリストの忠実な弟子だけが聖なる都に住む権利を持っていることを忘れないでください。