The true disciples of Christ

キリストの真の弟子たち

キリストの真の弟子たち

La Biblia enseña sobre una sola verdadera Iglesia y cuyo nombre es “Iglesia De Cristo,” que es profetizada, y cree que solamente el Padre es el Dios verdadero

Por ROMMEL V. SAN PEDRO

(和訳: SATORU L. TERAMURA)

LANGUAGE

「弟子」という言葉の一般的な意味は、「誰かの教えを信じ、それに従う人」です。キリストの弟子であることに関して言えば、自分は「キリストの弟子」だと名乗ることと、実際に救い主であるキリストに認識されることは、まったく別のことです。聖書にはこのように書かれています:

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」(ヨハネ8:31新共同)

主イエス・キリストは、次のような条件を示されました、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」。つまり、人がキリストの真の弟子、または信じる者と認識されるのは、彼の教えに従う場合です。

キリストは、ご自分の弟子となるためには、人は洗礼を受けなければならないと教えられました:

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、」(マタイ28:19新共同)

救い主は次のように約束されています:

「それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」。(マルコ16:15–16新共同)

したがって、「主イエスを信じている」または、「信仰がある」と口で言うだけでは不十分です。キリストの真の弟子となるためには、真の洗礼を受けなければならないのです。

しかし、中には「自分はすでに他の宗教で洗礼を受けている」と主張する人もいるかもしれません。そのため、自分はキリストの弟子であり、キリストが約束された救いを受けると考えています。しかし、聖書によると、「真の洗礼を受けた者たちはどこにいるのか」という問いに対して、使徒パウロは次のように語っています:

「つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。」(Iコリント12:13新共同)

真の洗礼を受けた人々が属している「ひとつのからだ」とは、キリストがかしらである教会のことです(コロサイ1:18)。

使徒たちはこの教会を「キリストの教会」または、「イグレシア・ニ・キリスト」と呼びました。

「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊はキリストがご自分の血で買い取られたキリストの教会を牧させるためにあなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(使徒20:28 Lamsa Translationを日本語に訳したもの)

したがって、キリストの真の弟子とは、単に「自分はキリストの弟子だ」と名乗る人々ではありません。また、さまざまな宗教や教派に分かれているわけでもありません。むしろ、彼らはただひとつのからだ ―キリストの教会で洗礼を受けた人たちなのです。この教会員こそが、キリストの真の弟子であり、神が約束された救いを受けられる人たちなのです。