良(よ)い知(し)らせを広(ひろ)める

救(すく)いの良(よ)い知(し)らせを広(ひろ)めることは、イグレシア・ニ・キリスト(キリストの教(きょう)会(かい))の主(おも)な務(つと)めのひとつです:「そして彼(かれ)らに言(い)われた、『全(ぜん)世(せ)界(かい)に出(で)て行(い)って …

どうしてキリストの教会?

キリストの教会のメンバーに繰り返し寄せられる質問:「人は救いを得るために主イエス・キリストを個人の救い主として認識し、御名を呼ぶことで、主イエス・キリストと直接的な関係を持つことはできないのか?そして、どうして御使いまたはメッセンジャーが必要なのか?」

良い行いだけでは不十分である

地獄での永遠の刑罰への恐怖と天国での永遠の祝福は、人々にとって美徳の特徴であり良い行いへと駆り立てている。しかし多くの人々は教会の一員となることについて行うべき良いことの一つとしてとらえてはいない。また、自ら進んで教会に入信する。。。

さばきの日は来るのか

Will Judgment Day come?

日本語 English Español Português Français Deutsch Italiano 中文 さばきの日は来るのか ベニシオ・バスコより さばきの日は、主なる神が約束された救いを求める人たちが待ち望んでいるものである。その日に救われる人たちはさいわいな人たちである。 しかし、このように尋ねる人がいる:さばきの日は来るのか。もしさばきの日に救われる人がいるのなら、その恵みを受けられない人たちはどうなるのか。 聖書に記されているさばきの日 さばきの日についての宣言は、先祖たちの時代にまで遡る—私たちの主イエス・キリストよりも前の時代だ。ユダ1:14–15によると、アダムから七代目にあたるエノクの預言によると、「主」が「すべての者にさばきを行う」ために来られる(口語訳)。その来られる方とは、他の誰でもなく主イエス・キリストのことである。主はこのように述べられた: 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ14:1–3口語訳) 人は神の御前に罪を犯したので、この世のすべてのものが人も含め火で滅ぼされる日である、主の日またはさばきの日が定められた(ゼパ1:14–18)。 たとえさばきの日について懐疑的に思っている人たちがいたとしても、死を定めたお方はさばきの日を定めた神であるので、人が必ず死を経験するように、さばきの日も必ず来ることを聖書は証明している(ヘブ9:27)。その一方で、その日が来ることを信じている人たちもたくさんいる。そしてその中には、それについての予言をした人たちさえいる。しかし、この世の終わりの正確な日について予言できる人はいるのだろうか。私たちの主がこれについて、マタイ24:36で答えておられる: 「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」 さばきの日がいつなのかは天使たちも、キリストご自身さえも知っておられない。主なる神だけが知っておられるのである。このため、人はその日に備えておかなくてはならない(マタ24:44)。 さばきの日が近いときのしるし 私たちの時代だけでなく、キリストの時代の人々もさばきの日についてたずねていた: 「またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。」 「そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」 「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」(マタ24:3, 33, 6–8) その正確な日時はわかりませんが、主はご自分の再来の日が近いときに起こるしるしをお与えになった。戦争と戦争のうわさを聞くことになり、民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、飢饉や疫病、地震や苦しみが起こるのである。この節にある戦争とは、1914年7月27日と1939年9月1日に勃発した第一次・第二次世界大戦である。昔から起こっていた飢饉や疫病、地震は、今の時代ではより多発し、厳しくなっている。つまり、さばきの日はとても近いのである。 さばきの日の救い 聖書はさばきの日に救われる人たちについて確かにしている(ヘブ9:27–28)。それは誰であるのか、使徒パウロがこのように説明している: 「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。」(ロマ5:8–9) キリストの地によって罪が赦された人たちは、神の怒りからの救いが確かにされている。使徒パウロはまた、キリストの地で贖い取られた人たちはキリストの教会のメンバーであると証明している: 「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊はキリストがご自分の血で買い取られた、キリストの教会を牧させるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(使20:28ラムサ訳) 救われる人たちの他の特徴は、彼らの名前が天にある命の書に記されていることだ(ダニ12:1)。他の人たちは、教会の一員として登録されていることと救いは関係ないと言っているかもしれない。使徒たちはこのように述べている: 「また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、」(ヘブ12:23 新改訳) 使徒たちは、教会のメンバーの名前は天に記されていると述べている。救いに到達するためには、どの教会でもいいわけではなく、真の教会の一員として登録される必要がある。天にたどり着くのは、キリストの教会だ: 「しかし、あなたがたは(象徴的な意味において)真理に、シオンの山、新しいエルサレム—生ける神の天の都—に到達し、あなたがたはその都の一部である。あなたがたは神の御前で祝う無数の天使たちに、天にある聖所—真のキリストの教会—に近づき、その身元は天にたくわえられている。あなたがたは神—すべての人たちの義の源と基準、キリストのように完全とされた義の人たちのところに近づいている。」(ヘブ12:22–23 The Remedy) つまり、もうつても近づいているさばきの日に救われるのは、キリストの教会のメンバーなのである。人はそのさいわいな日に、この教会のメンバーであることを確かにするべきなのだ。 MORE FEATURES

世の光として輝く

イグレシア・ニ・キリスト(キリストの教会)に入ることはとても重要なことである。主イエス・キリストは言われた。「…誰でもわたしを通って群れの中に入る者は救われます」(ヨハネ10:9 Revised English Bible) …

「王子として生まれていれば」

もしあなたが国王の息子や娘だと気づいた時、どのような気持ちになりますか?私たちは他人よりも経済的に余裕を持つ事はとても難しいと認知しています。ですから、多くの人は不満に思いながらこのように考えたりします。彼らが王族に生まれ、ある国の国王や女王との血縁関係だったらと。。。

良(よ)い知(し)らせを広(ひろ)める

救(すく)いの良(よ)い知(し)らせを広(ひろ)めることは、イグレシア・ニ・キリスト(キリストの教(きょう)会(かい))の主(おも)な務(つと)めのひとつです …