'If only I were born a prince'

「王子として生まれていれば」

「王子として生まれていれば」

王子として生まれてくることは本当に偉大な名誉である。しかし、全ての王より偉大な王の息子と娘になる事はどのくらい偉大なのだろうか?

ジェンセン・マニェーボッグより

(By JENSEN DG. MAÑEBOG)

ジェンセン・マニェーボッグより

(By JENSEN DG. MAÑEBOG)

ジェンセン・マニェーボッグより

By JENSEN DG. MAÑEBOG)

(日本語に翻訳:SATORU TERAMURA)

もしあなたが国王の息子や娘だと気づいた時、どのような気持ちになるだろうか?

私たちは他人よりも経済的に余裕を持つ事はとても難しいと認知している。このため、多くの人は不満に思いながらこのように考えたりする。彼らが王族に生まれ、ある国の国王や女王との血縁関係だったらと。

多くの人が望んでいるこのような夢はほぼ不可能である。しかし、珍しく王族との結婚を通じて関係を持つ人はいる。このような出来事を元にしたフィックション・フィルムは売れている。視聴者側は無一文から大金持ちになるなどのおとぎ話を好んでいるからだ。全ての人ではないが、ほとんどの人は王族としての気分を味わってみたいと思っているはずだ。

王子になれる事は本当に偉大な名誉だ。それ以上に、全ての王より偉大な王の子になれる事はどのくらい偉大なのだろうか?

まことのクリスチャンがもろもろの王の王である、神の家族の一員であると聖書は証明している(Iテモ6:15)。キリストの教会のメンバーたちは主イエスの血で贖われているため(使徒20:28 Lamsa)、聖書はこのように述べている:

「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり…」(エぺ2:19新共同)

「また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていまた。しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。」(エペ2:12–13新共同)

全ての人が神の子に属するわけではない。全ての人が神の子であるとすれば、それは真理に反している。全ての人は神に創造されたが、罪に陥った人は「主の子ら」ではない(申32:6,5)。主イエス・キリスト以外は罪を犯した(ロマ3:23; Iペテ2:21-22)。主イエスを受け入れ信じた人だけが神の子になる「権利」を与えられる。

「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハ1:12-13新共同)

そして、誰が本当に主イエスを信じている人かを知るために、主イエスご自身がこう言われた:「しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。」(ヨハ10:26新共同)。キリストの羊—本当に主イエスを信じている人、そして聖書が特定している神の子—彼らは「群れ」の中にいる(ヨハ10:16)。つまり、キリストの教会だ(使徒20:28 Lamsa)。

そして、この地の果ての時代のキリストの教会のメンバーに向けて神はこう語られている。「わたしの息子たちを遠くから/娘たちを地の果てから連れ帰れ」(イザ43:5-6新共同)。彼らは神の「相続人」(ロマ8:16)。神の子である以上、神の相続人であり、キリストと共同の相続人である。この人生において神は彼らを見捨てられない。たとえ問題の最中、彼らが神を呼び求める時、神はその祈りにお答えになるからだ(ゼカ13:9)。

したがって、たとえキリストの教会のメンバーは専制君主が行なっている政府や軍隊の重要な立場になれなくても、たとえ王族が文化的に行なっている儀式を行えなくても、たとえそのような場所に住んでいなくても、彼らはもろもろの王の王の子なのだ。偉大なものを受け継ぐことができるのだ。つまり、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない聖なる都にある永遠の命を(黙21:1–4)

まことのクリスチャンは偉大なる神がおられる素晴らしい王国に入ることができる。つまり、彼らは他の王族より優れている王族なのだ。彼らは「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」だからだ(Iペテ2:9新共同)。